Air

私が生きるのは、確かにあなたがいた世界。

「ボクが死んだ日はハレ」

(感想というほどのものではありませんが、上演が終了していませんので、たたみます)

 

生きていくことも、死んでいくことも、感情と記憶と手探りと手合せという駆け抜けるたびにスイッチが押される、戦隊ヒーローの爆発の演出のような、吹き荒れる嵐のような巻き上がりの連続だなって、あの小さなステージの上を、それでも春夏秋冬駆け抜けていく親子の歴史を見守りながら、ひかるくんの眩しい笑顔と両手の広がりから見えた、目には見えないはずの愛というものが、ハレバレとした青空のように、遠く遠く眩しく輝き続いていくものだということを、感じた。

それはあまりにも果てしないから、ときたま自分がどこにいるのか分からないけれど、私も何度でも何度でもあなたを思い出して、そして生きよう。…そうしたいなって、私もそんな風に生きたいなって、思わせてくれました。

無償の愛!って言って笑うひかるくんの強さを、私もわけてもらえたから、そうでありたい。ひかるくんは自分は天使じゃないって言っていたけれど、間違いなく天使だったよ。

 

百名くんのこと。

おかあさんに嘘をつかれたことに傷つく、膝を抱えた小学一年生のひかるくんが、本当に子供にしか見えなかった。あれが、すごい。あれは本当にすごかった。

篠原さんに抱きしめられているときの、残してきてしまった彼女への愛情を滲ませる苦痛の表情が好き。大切に大切にしてもっとしておきたかったって思うほどに愛した女性がいたひかるくんの、若者らしい後悔が、とても悲しい。そしてそれを受け止めて抱きしめてくれるのが、篠原さんなのがいいな。お父さんもお兄ちゃんも弟もいないひかるくんにとっては、最初で最後の感覚だったよね。ちょっと戸惑っていたのに、すぐ抱きしめられちゃうひかるくん。せつない。

ちなみに私は篠原さんのソロで毎回号泣です。ファンという言葉だけでは言い尽くせない篠原さんの翔子さんへの気持ちもまた、無償の愛であり、ボクハレ男性陣の愛の深さは生きてる側も死んでる側もとてもあたたかい。

おっと話がそれた。

今日みていて初めて気付いたんだけど、昔はよくやっていた、左手をぶらぶらさせるくせが一切なくなっていることに驚いた。…あれはなんなんだろうってずっと思っていたけれど、やらなくなると、ますます、あれはどういう感情の揺れだったんだろうって思ってしまう。研ぎ澄まされたのかな、そうなのかな。

ダンス。…篠原さんと踊る曲の、背中越しに手を広げるときの、男らしく骨ばった手が案外大きくてびびる。身体の使い方も全体的に印象がかわりすぎていて、この数か月の間にどんなレッスンを積んできたのか、とても気になる。

自由になった、というと言い方が違うかもしれないけれど、のびのびとしていて、ターン一つでエッフェル塔も飛び越えそうな、そんなのびやかさを感じる。

歌。歌詞がするすると心のなかに入り込む、そんな声。どんな苦しい歌詞でも、その根本には喜びが溢れている歌声だった。魂の叫びで訴えていても、けして押し付けてこない、ひかるくんの愛情がたっぷりこもった歌声を、あんなに沢山聞けて、本当にこのままソロとしてあの曲をいただけないものだろうかと思ってしまった。

かおりさんと二人で歌う曲が、とてもきらきらしていて、子供らしさに溢れている二人の世界があまりにも眩しかったな。…かおりさんがまるで「トムソーヤーの冒険」のベッキーのような、正統派ヒロインの輝きと微笑みと軽やかさでそこの存在するから、ひかるくんもトムのようなわくわくをいたずらで隠して飛び出す子供のようで、あっちとこっちを繋いだ二人の世界は、夏の光を浴びる高原の水場のような眩しさであった。流石は妖精。我らが立ち耳族は伊達じゃない。

はいまた話がずれた。

百名くんとして生きるその姿はあまりにも無限の可能性に満ちていて、眩しくて、本当に夢と希望しかない。

ブログだけでも幸せなのにツイッターまで開設されて、チケットクラブができて、あまりに情報が一気に押し寄せてきていいよいいよもっと小出しにして!って息切れしそうになるけれど、でもこれからも、その綺麗な瞳が目指す未来を、私も見つめていきたいです。

ひかるくんの今日までと、百名くんのこれからに、たくさんの有り難うと愛していますをこめて。

 

 

 

 

 

 

…きっとここには辿りつかないと思いますが、本日、当日券で引き当てた席のお隣に座ってらしたファンの方と、ちょっとの間ですがいろんなお話ができて、嬉しかったです。名前も聞かずにお別れしましたが、マクベスで会いましょう!って、きっと会えますねって思ったから笑顔でお別れしました。…もし、また、お会い出来たら、メールアドレスくらい差し出せる勇気を持とうね、私…!